少々古い話題となりますが、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)は、最終日未明まで続いた協議の結果、 「名古屋議定書」 と今後の取り組みとなる 「愛知ターゲット」 (生態系保全の国際目標) を全会一致で採択し閉幕した。
生物多様性は分野が広範で一般には分かりにくいものであり、正直なところそれゆえにやや盛り上がりに欠けました。 しかし、生物多様性の重要性が日本の国民に認識されたのは大きな意義があったと思いますし、 議長国である日本は 「名古屋議定書」 採択によりその職責を果たしました。 少なくとも、長年続いた対立に一定の結論を出したことになり、歴史的な会議となったのはまちがいありません。
しかしながら、実のところ先進国と途上国の利害調整という駆け引きの世界にはややうんざりであった。 医薬品などの開発、生産などには生物遺伝資源が必要です。 この生物遺伝資源を利用した医薬品の利益をどう配分するかで、生物遺伝資源が多く残されている発展途上国と先進国側との間で駆け引きが続いた。 最後は、分配・支援金など金の話に終始した。 「崇高な理念と国益の争いのギャップ」とはまさにこのことである。
さて、このCOP10について、友人である細川昌彦氏は以下のように述べている。 様々な国際会議を経験した元官僚であるが、考えさせられる意見である。(氏は先の名古屋市長選を河村たかし氏と戦った相手であり覚えている方も多いであろう。)
COP10は未明の議定書採択で無事終了した。市民活動の盛り上がりはこの国際会議を誘致したことの意味を噛みしめさせてくれる。 この会議を契機として自然保護の意識喚起、機運の高まりが期待され、それに努力されておられるNPOなど関係者には敬意を表したい。
ただ会議の現実は、先進国と途上国の利害調整という駆け引きの世界だ。 それはこの会議に限らないし、そもそもそれは当初からわかっていたことだ。 一部報道に「崇高な理念と国益の争いのギャップに、市民に複雑な残像を残した」との指摘があったが、国際交渉の現実を初めて知ることになった市民としては当然だろう。
また最終日の未明まで交渉して、議長の妥協案でギリギリ妥結するというのも、国際交渉では珍しいことではない。 私もこれまで多くの国際交渉に携ってきたが、むしろ交渉者としてはこれは常套手段である。 これも当初から関係者の間ではこの会議の成り行きはある程度予想された。 「劇的な瞬間」「日本外交の勝利」といった過度の高揚感で受け止めるのはやや違和感がある。 もちろん関係者の努力や会議の結果は正当に評価すべきである。 と同時に、国際会議の現実をもっと冷静に見る目も養いたい。
ある外国政府関係者からこんな指摘もあった。「「名古屋議定書」「愛知ターゲット」となったが、市と県が名前を分け合う調整の結果らしいね。英語の会議名も「アイチ・ナゴヤCOP10」になっている。国際的にはちょっと変だよ」」 事実はわからないが、こういう見方をされていること自体は残念ではある。
関係者のご努力と成果を心から評価するとともに、いろいろと「国際化」ということを考えさせられる会議でもあった。
<COP10と「国際化」 細川昌彦>
http://m-hosokawa.blogspot.com/2010/11/cop10.html

写真は 細川昌彦中部大学教授